2020年4月14日火曜日

学芸員の解説情報7

「網走監獄教誨堂」
前回は教誨の起源について解説しましたので、今回は教誨堂の建築についての情報です。
明治42年8月26日に司法省金子馨技師が設計し、明治45年3月19日に落成した教誨堂は、広島県の藤原熊吉棟梁と群馬県の町田里平棟梁による落成棟札が残されています。網走監獄の建造物の中でも教誨堂は最もデザイン性に優れている建物ですので、当博物館に移築するさいに棟札が発見されました。軒先を大きく反った入母屋瓦葺き屋根、大棟の鬼瓦、妻を飾る懸魚(火から木造建造物を護る意味)などの和風の意匠と下見板張りの外壁や半円アーチのペデイメントを付けた飾り笠木を持つ欄間付き上げ下げ窓の洋風意匠とが併存しつつ調和する和洋折衷の建築です。内部は、正面に床面から730mm高くして講壇を置き、講壇上には須弥壇を構え、左右の前室入口に尖頭アーチ形の欄間付ドアを建て込んでいます。左右の壁には縦長洋風押上窓を設けています。5,165m高の天井には植物文様の天井中心飾りが吊り下げられ、大きな一室空間を引き締める重要な要素となっています。
大工作業の人工として働いた受刑者たちは、「神仏の魂が宿る場所だから」と精魂こめて作ったと言い伝えられている網走監獄教誨堂は、実に美しい建築美を醸し出しています。
教誨堂内部