網走監獄煉瓦の正門
前回に引き続き煉瓦建築について、今回は正門をご紹介します。
網走監獄の正門が木造か現在の煉瓦製になったのは大正時代です。網走監獄正門は大正8年から取り掛かり150万枚の煉瓦を焼き、1080mの長さで監獄施設を囲み完成したのは大正13年です。
開設から3代目の正門になります。
実に5年の年月をかけて築き上げたのです。監獄建築には機能性と管理側の思想が反映されていると言われています。正門は市民が一番先に目にする監獄建築です。その上で正門が具現化しているものは権威と象徴でした。
機能的には外部からの侵入攻撃を守るという意味から頑丈に造られています。また管理的には囚人が逃走できないように正門や塀の高さは監獄法で決められています。網走監獄の門と塀は4.5mの高さがあります。成人の肩にもう一人が乗ったとしても乗り越えられない高さが4.5mとの判断なようです。
デザイン性においては、建築家後藤慶二が大正4年に設計した「旧豊多摩監獄正門」と類似します。後藤慶二は、司法省の営繕技師建築家で、明治時代に活躍した山下啓次郎氏の後輩として大正期の監獄を設計しました。彼の装飾性の排除や合理的設計手法の導入などが積極的に獄舎設計に向けられ、豊多摩監獄の正門は、将棋駒型表門と称される屋根の形状が網走監獄煉瓦の正門と類似してるといっても過言ではないでしょう。高名な建築家のデザインを網走の担当技官も模倣したのではないでしょうか。
画像解説
上部の豊多摩監獄正門と類似しています。この正門の屋根の形態はキャンブレル形式といって二面切妻二段勾配屋根になっています。18世紀に英国や欧州から米国に伝承したものを取り入れて後藤がデザインしたものです。明治期の表現主義から昭和の合理主義建築への移行過程にある姿を示した事例として明治と昭和を結ぶ大正建築として希少な監獄建築です。