2009年10月14日水曜日

忘れてはいけないこと・・

少し前の話になりますが・・・

8月末、資料館リニューアルの展示取材を目的に網走刑務所敷地内にある「網走監獄墓地」を訪れました。
来年で創設以来120年になる網走刑務所。収監中になくなった収容者や殉職した職員たちを祀っている場所。通常は立ち入りが許可されていない場所です。刑務所側の特別な配慮で今回の取材がかないました。

刑務所本体からもかなり離れた場所ですので静かです。
周りの樹木が大きく育ち、鬱蒼とした空間。
幽玄・・と言う言葉が似合う場所ですね。
(-_-;)が、ここを訪れるのも十数年ぶり。
若いころ(この博物館に勤めてまだ間もないころ、もう20年以上前か・・(-_-;)シミジミ)この墓地の存在を知り、何とか歴史史跡として保存する手段がないか若いなりにもがいてみた時期もあり・・・感慨深い場所でもあります。

で、写真の二つの大きな塔が、刑務所開設以来の物故受刑者の合葬碑。かつては引き取り手の無かった囚人たちの亡骸がこの手前側に土葬されていたのですが、後に火葬され塔の後ろ側に埋葬されているそうです。
この塔も、敷地内産出の軟石を彫刻し組み上げたもの。大正期の収容者による作業で立てられたものです。
自然と手を合わせたくなる・・・・

そして、私が今回の訪問でもう一度あいたいなと思っていたのが・・・

開設当初の時期に亡くなった(殉職した)職員たちの墓標。
大正時代以降に亡くなった殉職職員の墓標はそれなりの大きさがあるのですが、なぜかこの墓標はとても小さい。
多分、建立はずいぶん後の時期になってからのようです・・・(この墓地ができたのが大正時代ですので・・)
表には亡くなった職員の名前が刻まれています。
別な面には出身地。宮城県、山形県、岩手県など東北出身の士族が多い。
更に別な面には・・・
『北海道集治監網走分監看守奉職中明治廿四年(24年)十月九日死亡 行年廿二才(22才)』
そうです。あきらかにあの道路工事の期間に亡くなった職員。他にも同じ時期になくなったものの墓標がいくつかありました。
釧路から移動途中と思われる明治23年7月に亡くなった職員のものもあります。
そして、私が?と思ったのが亡くなった年齢。21才、23才、21才、24才・・・20代前半の若者たちばかりだったこと・・・

当時、北海道に次々と集治監を設置するため、宮城集治監で職員募集をしたそうです。
年齢から考えると自分たちの親の世代で戊辰戦争(明治維新)があり、旧幕府軍側となった東北列藩。賊軍出身者と扱われ、良い公職につく事がかなわなかった若者たちです。
監獄の看守、「牢役人」は江戸時代、不浄役人と蔑まされた職種です。それでも「役人」、しかも「腰に刀(サーベル)」ですから士族出身者の職として苦渋の選択、未開の荒野・北海道を目指したのでしょうね。

確かに犠牲になったのは囚人たちの方が多いのですが・・・
道路工事の現場で犠牲者が続出した最大の要因は、食糧補給路が伸びすぎたことにより現地の栄養状態が悪化、ビタミンB1が欠乏した糧食を与え続けたことによる脚気の蔓延。これは、囚人、看守ともに変わらない状況でした。
脚気は、育ち盛りの若者のほうが発症が多いとされています。若年職員が多く斃れたのもこれが原因でしょう。

故郷を遠く離れた北海道の山中で満足な医療も与えられず痛み苦しんでなくなっていった多くの若者たち。黒い看守の制服をきたもの、柿色の囚人服鉄鎖で繋がれていたものと違いはあれその無念さに変わりは無いでしょう。看守たちは監獄墓地に名前を記した石の墓標があります。亡くなった囚人たちも工事現場付近に埋葬された時には木製の墓標があったと言われています。残念なことにそれは長い時間の中で朽ち果ててしまいましたが、亡くなった囚人たちの名前は全て記録には残っています。(個人に関わることなので展示をするわけにはいかないのですが・・)

年表風に言えば『明治24年、北海道集治監網走分監による作業で網走旭川間の中央道路が開通、工事は多くの犠牲者を出した。』と一行で納まってしまう。しかし亡くなっていった200名を越す人たち、全て名前があり、家族もいた、いろいろな思い出がある「人格」を持つ人間たちです。関わった人間たちの生きていた『人生』全てを紡いでいったものが「歴史」なんですよね。

『監獄墓地』の小さな墓標に刻まれた少ない情報は、「俺たちのことを忘れるな!」とわたしたちに言っているような気がします。今回の資料館リニューアルの目玉『開拓の森劇場』は、中央道路工事に強く焦点をあてたものになります。亡くなった多くの魂が抱えていたドラマが伝わるような・・・彼らの無念を晴らすためにも、わかっている範囲で史実を公正に見るものに伝える力を持つ・・そんな展示になってくれることを関係者として願っています。

追記:今回、紹介した『網走監獄墓地』は、網走刑務所の敷地内にあり一般の立入が禁止されている場所です。数年前、心無いテレビ関係者が無断でここに深夜侵入、撮影し、おもしろおかしく『心霊スポット』として紹介をしました。以降、『北海道の心霊スポット』として雑誌などに紹介をされ、ふざけ半分に墓地内に侵入する人が多いと聞きます。
とても悲しいことです。亡くなった人たちは、みな名前を持った人格を持った人たちです。絶対にやめていただきたいと思います。